熱田神宮の境内には本宮をはじめ別宮1社、摂社8社、末社19社が祀られています。
境外にも摂社4社、末社12社を数え、すべてあわせて45社をお祀りしています。
番号をクリックすると各施設の詳細が表示します。
本宮ほんぐう
別宮八剣宮べつぐうはっけんぐう
一之御前神社いちのみさきじんじゃ
清水社しみずしゃ
土用殿どようでん
御田神社みたじんじゃ
龍神社りゅうじんじゃ
神楽殿かぐらでん
授与所じゅよしょ
祈祷殿・長床きとうでん・ながとこ
こころの小径こころのこみち
ならずの梅ならずのうめ
西楽所にしがくしょ
信長塀のぶながべい
大幸田神社おおさきだじんじゃ
内天神社うちてんじんじゃ
六末社ろくまっしゃ
宮庁きゅうちょう
熱田神宮会館あつたじんぐうかいかん
龍影閣りょうえいかく
大楠おおくす
みなも神殿みなもしんでん
菅原社すがわらしゃ
客殿きゃくでん
千秋閣せんしゅうかく
又兵衛またべえ
手水舎てみずしゃ
宝物館ほうもつかん
剣の宝庫 草薙館つるぎのほうこ くさなぎかん
くさなぎ広場くさなぎひろば
くさなぎ広場売店くさなぎひろばばいてん
南神池みなみしんいけ
宮きしめんみやきしめん
二十五丁橋にじゅうごちょうばし
佐久間燈籠さくまどうろう
令和記念館 警衛詰所れいわきねんかん けいえいつめしょ
徹社とおすのやしろ
清雪門せいせつもん
楠御前社くすのみまえしゃ
南新宮社みなみしんぐうしゃ
上知我麻神社かみちかまじんじゃ
大国主社おおくにぬししゃ
事代主社ことしろぬししゃ
太郎庵椿たろうあんつばき
上知我麻神社社務所かみちかまじんじゃしゃむしょ
孫若御子神社ひこわかみこじんじゃ
日割御子神社ひさきみこじんじゃ
相撲場すもうじょう
下知我麻神社しもちかまじんじゃ
熱田神宮学院あつたじんぐうがくいん
愛知県神社庁じんじゃちょう
1
熱田の杜(もり)奥深く鎮まります本宮は、明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。
昭和20年3月・5月と、2回の戦災を受けましたが、昭和30年10月に造替されました。また平成21年、創祀千九百年の記念事業で社殿の造営等が行われました。
本宮の拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を付設しています。
その拝殿より御垣内を拝すると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神はここに鎮まります。拝殿から順に「外玉垣」「内玉垣」「瑞垣(みずがき)」の垣があり、垣の各南正面には御門があります。内玉垣と外玉垣との間の広場を「中重(なかのえ)」といい、正面中程に立っている鳥居を中重の鳥居といいます。例祭をはじめ祭典の多くはこの中重にて斎行されます。
2
元明天皇和銅元(708)年9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀です。また、平成26年約80年振りとなる社殿の改修等が行われました。
建築様式をはじめ、年間の祭典・神事に至るまで全て本宮に準じて執り行われます。古来、武家の信仰が殊に篤く、天正3(1575)年織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ、又慶長 4(1599) 年徳川家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3(1686)年将軍綱吉は本殿の造替を行った等の記録が残っています。
本宮の参拝を終えられたら、少し足を伸ばして是非参拝されることをお勧めします。
3
天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂(あらみたま)をお祀りしています。
荒魂とは、活動的猛進的なはたらきをされる神霊のことをいいます。伊勢の神宮の内宮は荒祭宮、外宮は多賀宮に祀られるように、お祀りされています。
4
本殿の東、御田神社の北に鎮座。祭神は水を司る神様である罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしています。
社殿の奥に水が湧いていることから、俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があります。
5
神楽殿の北に位置し、もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していました。様式は宝庫造、俗に井楼組(せいろうぐみ)と呼ばれる造りで、屋根切妻桧皮葺の箱棟でした。
永正14(1517)年将軍足利義稙(よしたね)の造営と伝え、天文11(1542)年修造されており、昭和46年に屋根を銅板葺にして復元されました。
6
五穀豊穰の守護神である「大年神(おおとしのかみ)」をお祀りしております。大年神の「年」の字には、穀物、特に穂が稔るという意味があり、農耕中心の日本人においてどれほど大事な神様か、容易に推察ができることでしょう。
この社の祈年(きねん)・新嘗(にいなめ)の両祭に奉る神饌(しんせん:神様へのお供えもの)はまず烏に食べさせる信仰が残っており、祭員がホーホーと烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げます(烏喰の儀)。昔は烏が飛んできてそれを食べなければ、祭典が行われなかったといわれています。
6月18日には御田植祭(おたうえさい)が執り行われます。
7
吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしています。『日本書紀』には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々としてその名が記されています。
神楽殿の東に鎮座します。
8
初宮詣・安産・厄除け・家内安全などの祈祷を奉仕する社殿です。又、1月1日午前零時の「初神楽」はここで奉奏されます。平成21年、創祀千九百年の記念事業で新しく造営されました。
拝殿の東、授与所と相並んで建ち、最大370名の祈願者が昇殿できます。
9
神札・御守を授与する建物です。祈祷のお申込みも授与所にて受付けます。平成21年、創祀千九百年の記念事業で造営されました。
開設時間外の場合は、本宮拝殿東側の宿衛舎の神職にお声掛け下さい。
10
緑陰に囲まれた祈祷殿は平成13年に竣功、車祓いが受けられます。お祓いを受ける車は、境内西側の専用入口をご利用下さい。
本宮拝殿を臨む長床は、熱田大神様に祈りを捧げる特別な参拝場所です。大前での挙式はこの長床で執り行われます。
11
12
西楽所の北に、高さ3mほどの梅の木があり、江戸時代模写の享禄古図(室町時代の境内)にも描かれている古木で、花は咲くが実がつかないため、ならずの梅といわれています。
『安永・天明頃の俗謡』にも 「ひんやれ、宮の熱田のならずの梅はやれよいとやれよいと花はさけども実はならん、しょんがゑ…」などとあり、さかんに謡われたようです。
13
神楽殿の南側にあり、桧皮葺(ひわだぶき)が美しい建物です。元は海上門(かいじょうもん・昭和20年焼失)内に相対して東楽所もありました。
この西楽所は貞享3(1686)年、将軍綱吉の再建で神宮にあっては数少ない明治時代以前の建造物の一つです。
5月1日の舞楽神事ではここで楽が奏され、5月8日の豊年祭にはおためし(田畑の模型)が奉飾されます。
14
永禄3(1560)年織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。
15
五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしています。一説に「福の神」即ち富貴栄達を祈る神様と言われています。
この御神前において、1月7日の世様神事(よだめししんじ)や、1月11日の踏歌神事(とうかしんじ)が執り行われます。
16
17
乙子社(おとごしゃ)・姉子神社(あねごじんしゃ)・今彦神社(いまひこじんしゃ)・水向神社(みかじんじゃ)・素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)・日長神社(ひながじんじゃ)の6社をさします。御祭神はいずれも日本武尊および尾張国造に関係する神々です。
第二鳥居を右に入った文化殿北側に6社が西面して鎮座しています。
18
当神宮の社務をとる建物です。
和風流造りと銅板葺きの屋根が趣深い景観を生み出しています。
様々なお問い合わせに応対させていただきます。
19
約1900年の歴史を持つ“あつたの杜”の式場では、親族・友人の見守るなか神職による祝詞に続き、三三九度、誓詞奏上などが厳粛に執り行われます。
又、伶人の奏でる雅楽に合わせて、巫子の優雅な舞が奉納される様は、まさに感動的です。
挙式前に本宮へのお参りも行っています。
おふたりの晴れの舞台を飾るにふさわしいひとときを演出致します。
料理は「日本料理」「フランス料理」「和洋折衷料理」を自由に選ぶことができる単品メニューも取り揃えています。
又、鏡開きや祝い餅つきなどおふたりらしさを演出致します。
大規模な会合、セミナー、パーティー、講演会等から結納式等の小規模な集まりまで、多目的に御利用いただけます。
20
昭和43年10月3日移築竣功した木造2階建瓦茸の建物です。
明治11(1878)年に名古屋博物館の品評所として建設、開館記念の愛知県博覧会に明治天皇が行幸の際、便殿として使用されました。
平成24年に改築されました。
21
弘法大師のお手植えの大楠と伝えられています。手水舎北側にあり、樹齢は1,000年を超えるといわれています。
22
23
御祭神に学問の神様として崇められる菅原道真公をお祀りしています。
西門を入ってすぐの場所に鎮座し合格祈願の絵馬も多く奉納されています。文化殿北側にある「内天神社」に対し「外天神」とも呼ばれる神社です。
24
25
昭和25年6月25日に竣功した数寄屋造りの茶席です。千秋の名は、旧大宮司・千秋家の松の大木を使用したことに由来します。平成元年7月、平成24年、に改築修造されました。
26
又兵衛は合掌造の原型といわれる江戸時代前期の建物で、現在茶室として使用しています。他に5軒の茶席を有し、毎月15日(除・8月)の月次献茶をはじめ、各種茶会に広く利用いただいています。
平成13年・14年に解体修理、平成24年に改築されました。
27
参拝の前に、ここで手を洗い口をすすぎます。かつて、川で禊(みそ)ぎをした風習を伝えるものといわれ、神前に参る前に身心を清めます。
第二鳥居の西側にあります。
28
宝物館では、皇室をはじめ、将軍・藩主・一般の篤志家におよぶ広い層から寄進された資料約6,000余点を収蔵しています。
なかでも古神宝・刀剣・和鏡・舞楽面・古文書・什器などには貴重なものが多く、国宝・重要文化財・愛知県文化財に指定されたものは、177点にものぼります。
又、当神宮に草薙神剣を奉斎する由縁から、刀剣類は特に多く、名刀の宝庫ともいわれています。
展示室ではこれらの宝物を順次展示して一般の拝観に供しています。
宝物館付属施設である熱田神宮文化殿(講堂・会議室)は、当神宮が祭典や行事のために使用しない日に、崇敬者に限って各種文化事業実施のために利用いただいています。
29
令和の御大典事業として令和3年6月に竣功、10月に開館。館内には、刀剣体験・映像・資料展示といった様々なコーナーが設けられています。
古くより祈りを込めて神様に捧げられた貴重な日本刀、約450口を収蔵する当神宮ならではの刀剣専門展示館です。
30
31
南神池周辺の庭園を、参拝者の憩い・やすらぎの場として整備しました。
当神宮所蔵の刀剣・宝物をモチーフとした参拝記念品や名古屋の名菓などを取り揃えています。
32
33
34
尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋といわれております。昔ながらの優雅な姿は誠に見事です。
名古屋甚句の中には西行法師(さいぎょうほうし)が、これほど涼しい宮を誰が熱田と名をつけた、というユーモラスな唄があります。
「ア~ 宮の熱田の二十五丁橋で エ~ ア~ 西行法師が腰をかけ 東西南北見渡してこれほど涼しいこの宮を たれが熱田と ヨ~ ホ ホ ア~アア 名をつけたエ~トコドッコイ ドッコイショ」
35
正参道と東参道の交差するところに、石の大燈籠があります。
寛永7(1630)年5月、佐久間大膳亮勝之は海難にあい、当神宮に祈りその加護によってことなきをえたのを感謝して寄進されたと言われています。令和の御大典事業の一環で、令和3年に周回路を設置しました。
高さは約8メートル、形も六角形で雄大な相をもち、江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られています。
36
迷子・落し物受付、境内の道案内などはこちらへお越し下さい。
37
天照大神の和魂(にぎみたま)をお祀りしています。神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は平和・柔順のはたらきをされる神霊のことをいいます。
第一鳥居をくぐり参道右手、楠之御前社の北側に鎮座します。
38
末社楠御前社の北東に位置し、もと本宮の北門ともいわれ、俗に不開門(あかずのもん)とも言われています。
天智天皇7(668)年新羅の僧が神剣を盗み出しこの 門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれたとも、神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられています。
39
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしています。
俗に「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚く、小鳥居(本宮授与所にてお頒ちしています)に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれています。
尚、このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に社名の示すとおり、楠の神木が祀られています。
40
疫病退散を願う「祇園祭」で有名な八坂神社の祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りし、6月5日を祭日として南新宮社祭が執り行われます。
当神宮唯一の丹塗りの社殿です。
41
「知恵の文殊さま」と称され知恵の神様として崇敬を集めています。
宮簀媛命の父親にあたる平止興命をお祀りしています。
境内には末社「大国主社」「事代主社」があり、1月5日の「初えびす」の名で知られています。
42
43
44
別宮境内にある樹齢300年を越える淡紅の花をつけるやぶ椿の一種で、江戸中期古渡に住む高田太郎庵という茶人が、愛好したことでこの名があります。
全国的に数少ない銘木で11月末から3月まで咲き、開花の時期が長いことでも知られます。
45
46
尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀りする式内名神大社です。
もとは境内の別の位置に鎮座していましたが、明治7年現在地に遷座されました。
47
天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)をお祀りする式内名神大社です。この鎮座地は往古、海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝えられています。
境内の最東南端に鎮座し、当社の北に天忍穂耳尊の御子神を祀る孫若御子神社があります。
48
49